
※登場人物は全て仮名です。
朝9時、キッチンのシンクの前で、私はまた爪を立てていた。
ペリペリ、ペリペリ。
500mlのペットボトルから、ラベルを剥がしている。昨夜の晩酌で夫が飲んだお茶のボトルだ。このラベル、本当に剥がれにくい。爪の間に糊が入り込んで、白くなっている。
「ああ、もう!」
思わず声が出た。ラベルが途中で破れた。上半分だけ剥がれて、下半分が頑として張り付いている。まるで私の人生における中途半端な努力のようだ。
そういえば、大学時代の彼氏に「君って、なんでも中途半端だよね」と言われたことがある。その言葉が今でも胸に刺さっている。
いや、違う。今はペットボトルの話だ。
水を出して、ボトルを濡らす。爪でこする。また破れる。イライラが募る。時計を見ると、すでに5分が経過していた。朝の貴重な5分を、私はペットボトルのラベルとの格闘に費やしている。
その日の午後、私はネットサーフィンをしていた。
正確には、楽天市場で「ミネラルウォーター まとめ買い」と検索していた。防災用に備蓄したいと思っていたのだ。去年の台風で、近所のスーパーから水が消えた光景が忘れられない。
そして、見つけてしまった。
「ラベルレス ミネラルウォーター 48本 送料無料」
ラベル、レス?
ラベルが、ない?
クリックすると、商品画像が表示された。透明なペットボトルが、整然と段ボールに収まっている。本当にラベルがない。最低限の情報がボトルに直接印字されているだけだ。
私の脳内で、何かが弾けた。
過去10年分のラベル剥がし体験が、一瞬で脳内を駆け巡った。
週末の午後、リビングのソファに座って、溜まった20本のペットボトルと向き合う私。テレビでは『世界の果てまでイッテQ!』が流れている。イモトが何かに挑戦している。私もペットボトルのラベルに挑戦している。どちらが過酷かは分からない。
剥がしたラベルが床に散乱する。夫が帰宅して、「なんか、ゴミ屋敷みたいだな」と言う。カチンとくる。「あなたが飲んだペットボトルでしょ!」と言い返す。夫婦喧嘩に発展する。
ペットボトルのラベルが、夫婦関係に亀裂を入れる。
馬鹿げている。でも、本当にそういうことがあった。
それから、防災リュックの話だ。
半年前、「ちゃんとした主婦にならなきゃ」と思って、防災グッズを揃えた。リュックに詰め込んだのは、懐中電灯、ラジオ、非常食、そして水12本。普通のラベル付きペットボトルだ。
先週、そのリュックを久しぶりに開けてみた。
ラベルが、劣化していた。
湿気のせいか、糊が溶けてベタベタになっている。隣に入れていた軍手に、ラベルがくっついている。非常食の袋にも、ラベルの破片がくっついている。
「これ、災害時に使いたくない…」
本末転倒とは、このことだ。防災用品が、逆にストレスの元になっている。
ちなみに、その軍手は今も洗濯機で回っている。糊が取れるかは不明だ。まあ、軍手なんて災害時しか使わないから、別にいいんだけど。
話を戻そう。
私は冷蔵庫を開けた。
そこには、様々なペットボトルが並んでいる。同じメーカーの水なのに、ラベルのデザインが3種類ある。通常版、キャンペーン版、地域限定版。なぜこんなことになったのか、自分でも分からない。
きっと、スーパーで安売りしていた時に、何も考えずに買ったからだ。
結果、冷蔵庫を開けるたびに、なんとも言えない雑然とした感じが漂う。ミニマリストに憧れている私としては、許せない光景だ。
先月、ママ友のアヤちゃんが家に来た時、冷蔵庫を開けて「わあ、生活感すごいね!」と言われた。褒め言葉ではない。絶対に褒め言葉ではない。
アヤちゃんの家は、インスタグラムに載せられるようなオシャレな家だ。冷蔵庫の中も、きっと整然としているに違いない。
私は悔しかった。でも、どうすればいいか分からなかった。
そして今、目の前のパソコン画面には、ラベルレスのミネラルウォーターが表示されている。
商品レビューを読んでみた。
「ラベルを剥がす手間がなくて最高です!」 「冷蔵庫がスッキリ見えます」 「備蓄用に最適。劣化の心配がありません」
みんな、すでに知っていたのか。
私だけが、知らなかったのか。
ショックだった。でも同時に、希望も見えた。
私も、これからはラベル剥がしの時間から解放される。週末の30分が、自由になる。その30分で、カフェに行ける。本を読める。昼寝できる。
指が震えた。
「カートに入れる」ボタンをクリックした。48本入り、2箱。合計96本。送料無料。ポイント10倍。
購入確定ボタンを押す瞬間、私は思った。
「これは、私の人生における革命だ」
大げさだろうか。いや、大げさではない。人生は、こういう小さな選択の積み重ねでできている。ラベルを剥がすか、剥がさないか。その選択が、人生の質を変えるのだ。
3日後、宅配便が届いた。
重い段ボール箱を2つ、玄関で受け取った。配達員さんに「重いですね」と言われた。「水なので」と答えた。なぜか誇らしい気持ちになった。
段ボールを開けた。
そこには、透明なペットボトルが整然と並んでいた。本当にラベルがない。ただ透明で、シンプルで、美しい。
私は一本手に取って、じっと見つめた。
爪を立てる必要がない。糊と格闘する必要がない。イライラする必要がない。
涙が出そうになった。
いや、本当に泣きそうだった。たかがペットボトルで、なぜこんなに感動しているのか、自分でも分からない。
でも、分かる気もする。
これまでの10年間、私はずっとラベルと闘ってきた。朝も、夜も、週末も。小さなストレスの積み重ねが、私の心を少しずつ削っていた。
それが、今日で終わる。
冷蔵庫に並べてみた。透明なボトルが、静かに佇んでいる。雑然とした感じは、まったくない。むしろ、清潔感すらある。
「これ、インスタに載せられるレベルじゃない?」
独り言を言って、笑った。
翌日、ママ友のアヤちゃんにLINEした。
「ねえねえ、ラベルレスのペットボトル買ったんだけど、超便利!ラベル剥がさなくていいの!」
既読が付いて、返信が来た。
「え、私2年前から使ってるけど?今さら?」
画面を見つめたまま、固まった。
2年前から。
彼女は、2年前から、この便利さを享受していたのか。
その日の午後、別のママ友ミキちゃんにも自慢してみた。
「防災用にもいいよね、ラベルレス!」
返信:「防災用はラベルレス一択でしょ。常識だよ〜」
常識。
私が知らなかっただけで、世間では常識だったのか。
完全に、出遅れていた。
でも、いいのだ。今知れたのだから。これから先の人生で、もうラベルと闘わなくていいのだから。
次の週末、私はソファに座っていた。
手には、文庫本がある。コーヒーを飲みながら、ゆっくりと読書をしている。
テレビでは、また『イッテQ!』が流れている。でも今日の私は、ペットボトルと格闘していない。
ふと、足元を見た。
ペットボトルのゴミ袋がある。でも、ラベルは散乱していない。透明なボトルだけが、整然と袋に収まっている。
美しい。
ゴミ袋が、美しい。
人生で初めて、そう思った。
夫が帰宅した。リビングを見回して、「なんか、スッキリしてるな」と言った。
「でしょ?ラベルレスのペットボトルにしたの」
「へえ、そんなのあるんだ」
夫も知らなかったらしい。少し安心した。
「で、週末のラベル剥がしタイムは?」
「もうないよ。だって、ラベルないから」
夫が笑った。「じゃあ、その時間で何する?」
私も笑った。「何でもできるよ」
本当に、何でもできる気がした。
読書、映画鑑賞、散歩、昼寝。選択肢は無限だ。ラベル剥がしという選択肢がなくなっただけで、人生の可能性が広がった気がする。
大げさかもしれない。でも、小さな変化が、大きな幸せを連れてくることもある。
私は立ち上がって、冷蔵庫を開けた。
透明なペットボトルが並んでいる。一本取り出して、キャップを開ける。
水を飲む。
美味しい。
ラベルがなくても、水は美味しい。
むしろ、ラベルがない方が、水そのものの美味しさを感じられる気がする。
そんなわけないんだけど、そう思えてしまうのだ。
私は、もう二度と、あの無駄な時間には戻らない。
ラベルレスのミネラルウォーター、万歳。
そして、それを今さら知った私に、乾杯。